Hoshizo's Outdoor Life

塵も積もれば山となる

私とアウトドア

今回は初のコラム企画です。

と言っても、いつものブログ記事と何が違うか?となりそうですが、この企画では主にアウトドアを軸に、それを取り巻くモノ・コト・経済などあらゆる視点から掘り下げて記事にしていこうと思います。

私の夢である、「IT×アウトドア」を実現するための、備忘録として、また皆さまへ想いを伝える、想いを受け取る場となれば良いかな思います。

よろしければ、マグカップ片手に(焚き火でも見ながら)お付き合い下さい。

今回のテーマ ~私とアウトドア~

記念すべき第1回目のテーマは「私とアウトドア」です。
何故私がアウトドアに興味を持ったのか。今、どういったことに興味があるのか、私がアウトドアと繋がる上での想いなど、「私」に焦点を合わせてアウトドアを掘り下げたいと思います。

きっかけは幼少期

私は幼少期、環境としては割と田舎と思える所で育ちました。特に、家は山沿いを切り開いて作られた集合住宅の一軒家で、自然はあるのですが目立った商業施設なども無く、基本的には近くの公園を駆け回っていた記憶が多いです。
まさにベッドタウンと言った感じの場所だったので、何か用事があれば山沿いなので、坂を下って降りていかなければなりません。逆もまた然りですね。
そのおかげで、脚力、体力が自然に付いて行きました。で、結果的には体を動かすことが日常的になり、好きになっていった様な気がします。

家族で自然へ

そんな基盤がある中、家族と良く登山やキャンプに行っていことがやはり大きなきっかけになっています。ありきたりかもしれませんが、幼い時に見た、感じたあの木々の色、匂いであったりキャンプで食べたあの味などは、一つ一つが鮮明に記憶に刻まれています。そう思うと、大人になっても何か興味がわくもの、きっかけになるのはやはり幼い時の経験が非常に比重を占めていると実感しました。

支えになった“走ること”

そんな自分も、中学や大学ではテニス部に所属したり、それなりに運動はしていましたが、やはり学業や仕事などが段々と生活に占める割合が大きくなってくると、純粋に幼い時に感んじていた感覚は徐々に薄れていった気がします。世の中と如何に上手く付き合って行かなければならないかと考える事が多くなると、いつしかそれが大きな負担となって自分が駄目になって行きました。

そんな時、ふと思うと良く走りにいっていました。その時は考えるよりも、心の奥底にある本能的なもので無心で走っているんですね。苦しい時でもその時は自分に帰れるんだなと。自分を構成する大事な部分はやはり変わることは無いのだなと実感しています。

人生の節目節目で、折れかけた心は”走ること”でそれが接着剤となりここまで進めて来たのだと思います。

子供の記憶が蘇り、登山へ

大人になって、ランニングはそれなりにやっていました。ただ、社会人になってから何年か経つと、心の余裕も少し出てきて(経済的な所もありますが。。)もうちょっと外の自然に目を向けたいと思うようになりました。そんな時真っ先に頭の中をよぎったのが、幼いころ必死に親の背中を追って登っていた登山でした。またあの時の自然に囲まれた感覚を味わいたくて、少しずつ道具を集めて(これも大人だから出来る所がありますよね)登るようになりました。今では、友人・同僚を誘って色々な山へ出掛けています。

私とアウトドア

私にとってアウトドアは単なる趣味では無く、人生の基盤となっています。今までの自分を支えてくれた大事なエネルギー、これからも何かに行き詰った時にきっと助けてくれると信じています。そしてその価値観を私だけではない、誰かのために役に立つことを願い、色々な想いを伝えて行きたいと思います。

あっ・・私もこんな感じだったなと振り返ったり、これからアウトドアに興味を持つ切っ掛けになることを願っています。

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テーマの著者 Anders Norén